確定拠出年金の社長ラジオ

確定拠出年金の社長ラジオ

2013年 03月 13日

リストラの嵐の中で

 

31歳の年、大阪から千葉に引っ越しました

夫もまた違うステージでの挑戦となり、相変わらず夫婦そろって仕事に一直線で社内で会っても、あの対応は良くないんじゃないかとか、あそこはもっと違う言い方があるんじゃないかとよく言い合いしてました

環境が人を作るといいますが、当時は二人共環境に完全に負けてたんじゃないでしょうか?
少なくとも私は・・・ 器の大きさに居心地の悪さを感じつつ、それでもやらなくちゃと空回りの日々です

ちょうど引越しのころ、妊娠が分かりました 大阪の病院では、お医者さんから今回も育つかどうか分からないから気をつけるようにと言われましたが、命が強い子だったのでしょう、忙しい中でもちゃんと産まれてくれました

1998年のことです
産まれる3週間前まで働き、5ヶ月後には復職 田舎から両親を呼び寄せて同居をしてもらっての、子育てが始まりました

といっても当時は子供のことは両親に任せっぱなし 出張や残業と相変わらず飛び回っていました

当時の経済状況は本当に厳しかった
義父の会社は自動車関係仕事でしたので、特に日産リバイバルプランが発表されたあたりは危機感が漂っていました

029462s

日本の社会において「リストラ」という言葉が実感として身近になったのはこの頃からじゃないでしょうか?

義父も悩んでいましたね 家族みんなで、もちろん役員から社員まで必死でしたよね
でも結果として、やはり数名の方には退職をお願いする事態となりました

正直私、この頃の記憶がないんです すっぽり抜け落ちているんですね
いつも電話の音が耳に残り、不快な耳鳴りに悩まされてもいました

私は当時人事の担当をしていたので、最後の最後でロッカーの鍵を受け取って退職の書類を渡すのは私の仕事でした

社内の空気、去っていく人との会話
中には採用当時も担当した方もいらっしゃって、入社当時ご家族のことなど話していただいたことが思い出されて辛かったですね

私、それまで会社の利益=社員の利益と信じていました
会社は社員に利益を与えるもの、社員は受け取るものという構図です

 

でも、時に会社は厳しい決断をしなければならない時がある

社員サイドから見れば、ひどい会社となるのでしょうけれど、好き好んで社員をやめさせる社長はいません
社長にとって、社員はやっぱり大切な存在ですから

でも、会社が無くなり、もっと多くの人を不幸にしてしまうのなら、痛みを伴う外科手術も決断しなければならない
義父の背中は、悩みに悩んだ末の決意が滲んでいました

義父はよく言っていました
社員の生活を守らなくてはならない
100人の社員がいれば、奥さんがいて子供がいて、親もいて、だから守るのは100人の社員じゃなく400人、500人もの社員の家族までも守らなければならないって

何十年も社員をかかえ事業を続けてきた義父の決意

ここでまた頑張っていかなければと、めげそうな気持ちになんとか喝をいれながら私も仕事をしていました

 

「寄り添うことの大切さがやっとわかった」に続く

以下の記事も読まれています。

Tags: