確定拠出年金の社長ラジオ

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2013年 03月 10日

悪夢の始まり・・・アメリカ留学

 

女性はクリスマスケーキ

24歳で売れずに、25歳になると貰い手がなくなる

こーんなこと、今言う人いないですね^^;
でも、普通にそういう会話があった昭和から平成への変動期

私は23歳で結婚しましたから、かなり早めに「売れた」口です …
特に急いでいたわけではありませんが、当時夫の留学計画が持ち上がり、だったら一緒に・・・とはなしがトントン拍子で進んだのです

新婚生活を海外で!!
周りの人、みーんな羨ましがりました

私も、なんて素敵なんだろうって思いましたもの(笑)

行ったところはアメリカのオハイオ州
とうもろこし畑が延々と続く、なーんにもないところです
もちろん車がないとどこにも行けないし、冬はものすごーく寒い

結婚したのが1月ですから、寒さで凍りついているんじゃないかと思うくらいなんの音もない町に一気にテンションは下がりました
でも、そんなの序の口

夫が変貌したんです・・・
いつもイライラ怒ってばかり

結局私たち甘かったんですよね
留学っていってもそれほど簡単に学校に入れてもらえるわけでもなく、また入ったとしても、英語の壁をクリアし良い成績を納めていかなければ学位なんかとれない

まして、毎日の生活だってわからないことばかり
それまで夫も学生でしたら、「生活」をすること自体初めてだったんです

だから、ボイラーが壊れて修理を頼んだり、身に覚えのない電話の請求がきたり、なんかそれらすべてを一人で、知らない土地で、しかも英語で(まったく話せない状態でした、二人共)やらなければならない
さらにいつも隣には、なーんにも役に立たない依存心の強い女の子が・・・

いっぱいいっぱいだったのでしょう、まだ24歳でしたらか
でも私の戸惑いも大きく、彼の変貌に動揺するばかり いつも泣いてましたね・・・

でも日本に帰るわけにも行かなかったんです、車運転できないし、チケットの予約もどうやっていいのか分からないし、そもそも一人で行動すること自身、怖くてそんなこと思いもしなかった

 

生活はどんどん荒みました
毎日喧嘩、逃げる場所もない、メールもスカイプもないですから、実家に愚痴をこぼすこともできない

そんな真っ暗な状況が半年、私たちがそんな状況にいることも知らない夫の父が、たまたま電話をかけてきてくれて、こう言ってくれたんです

「まだ若いんだから、伸枝も一緒に大学に行って勉強したら?」
義父にしたら、聴講生くらいの軽い気持ちでの「勉強」だったと思うのですが、私は思いました

「大学行こう、そして学位を取ろう!」

向学心?
いいえ違います
日本に帰ったら離婚しようと思ったから
離婚する時、学位もなにもないと仕事が見つからないと思ったから

当時の私は自分の貯金もないし、生活のすべてを彼から「与えられて」生きていましたから、離婚するにはまず自立しなくちゃ!

そう考えて、学位をとるまで、この「与えられた生活」にしがみついて取れるものとって別れよう
そんなことばかり考えて学校に通っていました

恨み言ばかりでネガティブだった私、今思えばかなり病んでいましたね
それでもちょっとずつ心に変化がありました
特に思い出深い「私を変えた3つのエピソード」明日からお伝えしたいと思います

25歳の決意」に続く

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